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Author:百日紅!
百日紅(さるすべり)は昔から大好きな花の一つ。
平仮名で書くとちょっとマヌケな感じがするのに、漢字で書くと情緒があって──そんなアンバランスなところも含めて、花自体、樹自体もさることながら、その名前にとても惹かれます。
そんなことから、ブログの筆名として採用してみました。
さしあたっては、幸福の科学の信者、ということ以外は謎のままにしておきます。
日々のブログの中で、徐々に謎は明かされてゆく予定。
乞う、ご期待!!

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DATE: CATEGORY:信仰
きょうは、『常勝思考〜人生に敗北などないのだ。〜』大川隆法)の第二部「光明転回の理論」から引用してみます。

H0172.jpg

「第三の道を拓く」という節に、このような言葉が書かれています。

対立するような価値観が出てきて自分を苦しめたときには、
単にどちらかを選ぶという立場に追い詰められることをもって、
よしとしないことです。
こうした対立するものを統合するもの、
あるいは「第三の道」というものが、
きっとどこかにあるはずだと思って、
発想しつづけることです。
そのようにして工夫しつづけると、必ず道が拓けてきます。
訓練を重ねれば重ねるほど、
こうした発想の出る確率は高くなってきます。
大事なことは思考訓練なのです。
いつもそうした習慣でものごとを考えていると、
発想を出せる確率が高くなってくるのです。
そして、一定の実力というものがついてきます。
(81〜82ページ)


悩んでいるとき、迷っているときは、往々にして、視野が狭くなっていたりします。
時には、進むことも退くこともままならなくなって、もうどうしようもない!なんて思い詰めてしまったり。
でも、落ち着いて、心を澄ませば、また別な、新たなる解決策が生まれてくることもありますよね。
まずは、ちょっと一息入れて、また新たな気持ちで、「第三の道、何かないかな?」と、よくよく探してみると、意外と見つかるかもしれません。
そういう視点を持つだけでも、ずいぶん気が楽になりますよね!
「第三の道を拓く」という考え方、大切にしたいなあと思います。

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DATE: CATEGORY:信仰
幸福の科学総裁・大川隆法先生『生命の法(いのちのほう)〜真実の人生を生き切るには〜』という本の、第5章「生き通しの生命」の最後のほうに、こんなくだりがあります。

魂には、魂の兄弟というグループがあり、
さらに、ソウルメイトのグループがあり、
それがまた、いろいろなところにつながりながら、
一本の大きな木につながっているのです。
そういう大きな木の幹から出ている枝のなかの、
小さな枝の先の葉っぱの一枚として、あなたは生きています。
魂は、個人として独立していると同時に、
実は、大きな大きな「生命の大樹」ともつながっています。
(237ページ)


なかなか実感するのは難しいですが、この真実を知っておくことはとても大事なことだなあと思います。

この真実ゆえに、私たちは、他人を傷つけてはならないばかりでなく、自分のことも傷つけてはならないし、他人も、自分も、大切に育んでいかなくてはならないのだと思います。

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DATE: CATEGORY:信仰
そして、幸福の科学総裁・大川隆法先生の、理論書としての2冊目が、『黄金の法〜エル・カンターレの歴史観〜』でした。

H0189.jpg


その第1章「黄金の人生を創る」は、こんな言葉で締め括られています。

この真理のなかに生きてこそ、人間は、
死の持つ呪縛性から解き放たれ、
永遠の時間と天空のなかを天翔ることができるのです。
自らを、可死の、すなわち一回かぎりの、有限の、
雑巾のごとく使い捨てられる値打なきものだと
思うべきではありません。
人間は、墓穴のなかに小さく納まっているお骨が、
その最後の哀れなる姿ではないのです。
死してまた、自由自在の、生き通しの存在なのです。
ですから、不死への願いを捨て、永遠の大道に入ることです。
そこに、真の生命の大河があるのです。
(71〜72ページ)


ここだけ取り出すと、少し難しいですが、それにしても、なんと詩的な文章なのでしょうか。

この数行に、文学を感じてしまいました。

文学とは、こうした、美の中に真理を含んだものが、その本来的な姿なのではないかと──。

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DATE: CATEGORY:信仰
うまく言えないのですが、ときどき、ああ、主に愛されている、主に愛されていた、あの時も、この時も、主に愛され続けてきた……ということを、ものすごく強く感じる時があります。
感じるというより、「分かってしまう」というような感覚でしょうか。
もちろん、考えるとか、想像するというのでもなくて。

そんなことを思っていて、『宗教選択の時代〜ネオ・ジャパニーズ・ドリームへの胎動〜』大川隆法幸福の科学出版)第2章「信仰の世界」の、このくだりを思い出しました。

世の中には、晴れの日もあれば、曇りの日もあります。
風の日もあれば、雨の日や雪の日もあります。
そして、「私が、どのような天候のなかにいても、
たとえ風の日や雪の日であっても、
いつの日にも、仏は私を温かく見守ってくれている」
ということを信じて忘れない心──その心こそが、
あなたを限りない高みに導いていく力となるのです。
(61ページ)


「仏の温かい眼を信じる心」という節の、最後の部分です。

「晴れの日」や「曇りの日」「雨の日」「雪の日」が、具体的にどんな場合を指すかはいろいろでしょうが、たとえば、仏の御心に適う真っ直ぐな生き方をして、自分も周りの人も幸福な時が「晴れの日」かもしれません。
一方、仏の御心に反した思いを抱いてしまい、人を不幸にしたり、自分の仏性を傷つけたりしてしまっている時が、「曇りの日」や「雨の日」「雪の日」かもしれません。

たとえ仏の御心に反した思いを抱き、そうした行いをしてしまっていても、そんな時ですら、仏は温かく見守ってくださっている──。
だからこそ、人は、どれほどの罪を犯してしまったとしても、またいつか、正しい道に立ち戻っていくことができるのではないでしょうか。

今、自分の仏性を信じることができずに苦しんでいたとしても、いつか必ず、仏の許しを得て、立ち直ることができるはず。
たとえ他の人から悪魔のように見えていたとしても、どんな人も、その身に仏性を宿した仏の子なのだということを、忘れずに生きていきたいものだと思います。

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DATE: CATEGORY:信仰
世間では、『不動心』と言えば、「ああ、松井秀喜の……」と思う方も多くいらっしゃるかもしれません。

でも、私たち幸福の科学の信者にとっては、やはり、まずはこちら──大川隆法総裁『不動心〜人生の苦難を乗り越える法〜』ですね。




──と、ここで突然、少し昔話になりますが、私がまだ高校生の頃、そう、幸福の科学の教えなど知りもしなかったずっとずっと以前のことですが、キリスト教への入信を検討していた私は、クリスチャン(プロテスタント)だった姉に薦められて、『聖書』の中の「ヨブ記」を読みました。

けれども、当時は、姉がなぜ私にこれを薦めてくれたのか、「いいよ〜、『ヨブ記』は」と言う言葉の、その「いい」の意味するところは何なのか、全く理解できませんでした。

「かわいそうじゃん、ヨブ……」というのが、当時の率直な感想だったのです。

ところが、今になって、というか、幸福の科学に入信した後になって、しばしば思い起こすのです、その「ヨブ記」に描かれていた、ヨブの苦悩を。

「信仰は100%を求める」と、よく言われますが、はたして、自分の信仰は本当に100%だろうか、たとえばヨブのような苦難・困難に見舞われた時、それでも自分は主を信じきることができるだろうか、主に対して、「なぜ私をこんな目に遭わすのか」と反逆心を起こさないだけの強さを本当に有していると言い切れるだろうか、と自らに問うた時、しばし逡巡せずにいられない自分を発見してしまうのです。

こんなことであってはいけない、と思う。
自分の信仰は100%だと、常に自信を持って言い切れる自分でいたい。

『不動心〜人生の苦難を乗り越える法〜』の第3章「苦悩との対決」には、この「ヨブ記」に関連して、このように書かれています。

自分が順風のとき、順調なときに、信仰正しく生きることは簡単です。
しかし、自分が非常に困難な時期にこそ、信仰が試されるのです。
人間の魂を鍛えるために、
仏神は人間に試練を与えることがあります。
魂を鍛えるために大事なのは、得意のときと失意のときです。
この二つのときに、
その人のほんとうの姿、本性が現れてくるものなのです。
得意のときに得意とならず、失意のときに失意の底にうち沈まず、
常にたんたんと努力する姿勢を、仏神は人間に要求しています。
(85〜86ページ)


信仰というのは、決して抽象的なものではなく、極めて日常的な、実践的なものなのだということを改めて感じます。

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DATE: CATEGORY:信仰
こんな私ですが(といっても、このブログ内では「どんな私」なのかをほとんど説明していないので、この書き出しは非常に独善的なわけですが♪)、普段、どのようなテレビ番組を見ているかといいますと、たとえば、「天才志村どうぶつ園」などは、けっこう好きで、だいたい毎週見ています。

あの中に、パンくんという芸達者なチンパンジーが登場しますが、本当に、チンパンジーぐらいになると、知能レベルがずいぶん高く、感情表現などもかなり人間に近いものがあるなあ、と思いながら、いつも見ています。

それで思い出したのですが(ふっふっふ。やや強引な展開だが、何とぞご容赦のほどを)、『宗教の挑戦〜ミラクルの風〜』大川隆法幸福の科学出版)にも、「夕陽を眺める猿」というお話が載っていましたね。

スリランカで、猿の生態を研究していたある動物学者が、インド洋に沈んでゆく夕陽をうっとりと見つめている猿の姿を見て、非常に驚いた、というお話です。

その動物学者は、その猿の姿には宗教的な信仰心まで感じさせるようなものがあった、と述懐したと書かれています。

これは、第3章「信仰は美しい」の中の一節です。

その話に続けて、大川隆法先生は次のように語られています。

信仰は人間特有のものと考えてもよいでしょう。
しかし、人間のなかにも信仰を持たない人が数多くいます。
「あの世の世界など信じない。霊の世界など信じない。
人間は死んだらそれで終わりだ。
神も仏もない。高級霊などあるわけはない」
と考えている人が数多くいるわけですが、
彼らはこの猿より劣る存在なのではないか、
と私は思うことがあります。
人間は猿より優れているのだろうか。
ある面ではそうかもしれないが、
もしかすると、他の面では違っているのではないか。
猿よりも劣っている人もいるのではないか。
「信仰なんて何になる。神なんか信じない。私は唯物論者だ」
と言っているような人のなかには、もしかしたら、
残念ながら猿以下の人生を生きている方がいるかもしれません。
(89〜90ページ)


実際、パンくんなどを見ていると、人間より、よほど賢いんじゃないかと思ってしまう時もあったりして。

私も、せめて人間レベルの人間ではありたいと思うので、よくよく自戒したいなと思います(そういう結論!?)。

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DATE: CATEGORY:信仰
『宗教選択の時代〜ネオ・ジャパニーズ・ドリームへの胎動〜』大川隆法幸福の科学出版)の第3章「悪とは何か」に、こんなくだりがあります。

この世界は、霊界をも含め、仏が創り、仏が統べている世界です。
そして、最大の悪は、
仏への信仰を失わしめる行為や、その思いです。
仏が創り、仏が統べる世界であるということ
──これへの信仰を揺さぶることこそ、最大の悪であると言えます。
というのは、それは、
この世界の成り立ちそのものを否定し、
自己の存在そのものをも、結局は否定することになるからです。
すなわち、自己の存在そのものと、
自己が生きている世界そのものを、
まったく否定してしまって、
人間を狂わせてしまうことになるのです。
ですから、「信仰を冒す罪」が最大の罪なのです。
(84ページ)


信仰とは、やはり、人間にとって、この世とあの世を貫いて、最も大切なものなのだと言えます。

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『太陽の法〜エル・カンターレへの道〜』大川隆法幸福の科学出版)の第2章「仏法真理は語る」に、次のようなくだりがあります。

根本仏は、自己表現の一端として、
大宇宙をつくり、大宇宙のなかに住む生命体をつくり出したのです。
それは、根本仏の意識の反映です。
ですから、根本仏が大宇宙の存続を望まなくなれば、
この無限にも思える三次元宇宙空間は、
ある日、忽然とその姿を消してしまいます。
ましてや、あなたがた人間の生命体も、
仏が自己表現の意志を放棄すれば、
たちまちにして、あとかたもなく姿を消してしまう、
はかない存在なのです。
しかし、このはかない存在であるあなたがた個人の生命体も、
仏の意識体の一部であるという意味においては、
非常に高度な存在だと言えます。
ですから、あなたがたは、自分自身が仏の一部であり、
仏の自己表現の一端をになっていることに、
誇りと自信をもつべきなのです。
これこそが、魂の真実です。
(72ページ)


自分という存在の小ささを知る。同時に、その偉大さをも知る──。

今日は、何だかそんなことを考えさせられる出来事があったので、この箇所を引いてみました。

自らが、仏の念いによって生かされ、また仏の一部でもあることに、深い安堵と安らぎ、そして喜びがふつふつと湧いてきます。

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『沈黙の仏陀〜ザ・シークレット・ドクトリン〜』大川隆法幸福の科学出版)という本の第1章「沈黙の仏陀」に、「真空妙有」という言葉の説明として、次のようなことが書かれています。

すべては夢幻だと悟りながら、その夢幻のなかに、
なぜか今ある自分、なぜか今あるあなた、
なぜか今あるその空、雲、雨、川、山、
田畑、植物、野菜、稲、動物――。
いろいろなものがあります。
一切が幻と悟ったが、しかし、
そこにまだ厳然としてあるこの世界は何か――。
幻であることは真相でありながら、しかも、
この世にかくも芸術的なる美しい世界が現に展開しています。
それを展開させているものは何か――。
それは、神仏の慈悲なのです。
その慈悲が、慈悲こそが、
この現象界にまた展開している姿だと思えるのです。
(44ページ)


何度読んでも心を打たれる、美しいくだりです。

この真実を前に、この素晴らしい世界を前に、ただただ感謝が湧き上がってきます。

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DATE: CATEGORY:信仰
突然ですが、今日は『正心法語(しょうしんほうご)』について触れてみたいと思います。

幸福の科学に入会する時には、三帰誓願式(さんきせいがんしき)という儀式に臨みます。

そして、仏・法・僧(ぶっ・ぽう・そう)の三宝(さんぽう)に帰依することを誓い、根本経典を授与されます。

それが、『仏説・正心法語(ぶっせつ・しょうしんほうご)』『祈願文(きがんもん) 戞惶Т衒賢◆戮任后

特に、『仏説・正心法語』の中の「真理の言葉『正心法語』」は、とても大切な経文です。

『仏説・正心法語』丸一冊を、朝晩、読誦(どくじゅ)するというのはなかなか大変ですが、忙しい朝や眠い夜にも「真理の言葉『正心法語』」だけは読誦したいところです。

……と言いつつ、恥ずかしながら、それすら怠ってしまうこともあるのが実情だったりもします。

でも、朝なら朝に、この『正心法語』を読誦するかどうかで、その日一日の心の波長が、ずいぶん違うのを実感します。

あとは、怖い!と思った時(たとえば歯医者さんで治療を受ける時……笑)なども、心の中で『正心法語』を唱えると、スーッと心が穏やかになったりもします。

たとえ短い時間でも、御本尊に向かい、心を整えて経文を読誦することは、目に見える何かをGETできるわけではありませんが、心の世界においては、何よりも大切なことなのだ!とつくづく思います。

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