うまく言えないのですが、ときどき、ああ、主に愛されている、主に愛されていた、あの時も、この時も、主に愛され続けてきた……ということを、ものすごく強く感じる時があります。
感じるというより、「分かってしまう」というような感覚でしょうか。
もちろん、考えるとか、想像するというのでもなくて。
そんなことを思っていて、
『宗教選択の時代〜ネオ・ジャパニーズ・ドリームへの胎動〜』(
大川隆法、
幸福の科学出版)第2章「信仰の世界」の、このくだりを思い出しました。
世の中には、晴れの日もあれば、曇りの日もあります。
風の日もあれば、雨の日や雪の日もあります。
そして、「私が、どのような天候のなかにいても、
たとえ風の日や雪の日であっても、
いつの日にも、仏は私を温かく見守ってくれている」
ということを信じて忘れない心──その心こそが、
あなたを限りない高みに導いていく力となるのです。
(61ページ)「仏の温かい眼を信じる心」という節の、最後の部分です。
「晴れの日」や「曇りの日」「雨の日」「雪の日」が、具体的にどんな場合を指すかはいろいろでしょうが、たとえば、仏の御心に適う真っ直ぐな生き方をして、自分も周りの人も幸福な時が「晴れの日」かもしれません。
一方、仏の御心に反した思いを抱いてしまい、人を不幸にしたり、自分の仏性を傷つけたりしてしまっている時が、「曇りの日」や「雨の日」「雪の日」かもしれません。
たとえ仏の御心に反した思いを抱き、そうした行いをしてしまっていても、そんな時ですら、仏は温かく見守ってくださっている──。
だからこそ、人は、どれほどの罪を犯してしまったとしても、またいつか、正しい道に立ち戻っていくことができるのではないでしょうか。
今、自分の仏性を信じることができずに苦しんでいたとしても、いつか必ず、仏の許しを得て、立ち直ることができるはず。
たとえ他の人から悪魔のように見えていたとしても、どんな人も、その身に仏性を宿した仏の子なのだということを、忘れずに生きていきたいものだと思います。
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テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術